| コメント (5) テレビ「テンペスト」(2011年7月17日~9月18日、NHK・BSプレミアム)時代考証 テレビ「琉球王国の秘密~ドラマ“テンペスト”の世界~」(2011年7月18日、NHK) ラジオ「沖縄熱中倶楽部・夏休みス … デジタル大辞泉 - テンペストの用語解説 - シェークスピアの戯曲。5幕。1611年作。弟に領地を奪われたミラノの公爵が、魔法によって嵐を起こし、弟らの船を難破させ復讐するが、のちに和解し領地に帰る。作者の最後の作品。ベートーベンのピアノソナタ第17番の通称。 谷原章介、仲間由紀恵との共演シーンで赤面!沖縄ロケで「ほぼ一緒にいたから親密になれた」 2011年6月23日 14時00分 Tweet, ドラマ第9回「決別」。残すところわずかとなりましたね。ペリーが去った後の琉球は安泰というわけにはいきませんでした。開国した日本のなかで、薩摩藩もまた大きく生まれ変わろうとしていました。藩主斉彬の密命を受けた浅倉雅博は王府内で薩摩派を結集させます。真鶴との二重生活を送る孫寧温でしたが、ついに尚泰王の子を宿し、物語は怒涛の展開で最終回へと向かいます。, 薩摩藩主・島津斉彬の密命によって、琉球を隠れみのにしたフランス軍艦の購入が浅倉より命じられましたが、これも史実がもとになっています。, 実際に斉彬は琉球を利用した富国強兵策に乗り出していました。腹心の市来四郎を琉球へ派遣し、またオランダと密かに協議して奄美大島と沖縄の運天港を開港することを内諾させていました。, また斉彬は市来を通じて王府に対し、(1)ヨーロッパへ琉球人留学生を派遣すること、(2)中国福建の琉球館へ薩摩商人を送り貿易させること、(3)奄美大島・運天港でオランダ・フランスと通商を開くこと、(4)蒸気船と最新鋭の武器をフランスから購入すること、などの密命を下しました。つまり浅倉は市来の役をドラマのなかで果たしていたわけですね。, あわせて目的達成の障害になる守旧派の座喜味親方(この人物はドラマの同名の三司官とは別人です)を更迭、親薩摩派の翁長親方を三司官に、牧志(当時は大湾)朝忠を表十五人衆に抜てきするよう強硬に迫り、これを認めさせました。, 1858年、牧志は市来とともにフランス軍艦と武器購入に奔走し、ついにフランス側と合意、契約書もかわします。しかし斉彬が急死して計画は中止。さらに抑えつけられていた守旧派が巻き返し、親薩摩派は失脚し、親薩摩派は贈賄などの罪を着せられて投獄。牧志朝忠も解任され拷問のすえに流刑の判決を受けます。まあ今でいう「国策捜査」のようなものでしょうか。, 琉球は中国との関係を従来通り守ろうとする守旧派が再び実権をにぎり、明治12年の琉球処分(王国滅亡)を迎えることになります。歴史に「もし」は禁物ですが、斉彬がもう少し長生きしていれば、琉球はあるいはちがった未来があったかもしれません。, 王府内の薩摩派の画策により表十五人衆から降格された喜舎場朝薫でしたが、ポストとしてあてがわれたのは「首里三平等総与頭(しゅりみひら・そうくみがしら)」でした。, 総与頭は総与方(そうくみほう)という役所のトップですが、この組織は消防を担当する部署でした。通常は表十五人の吟味役などが兼任していました。首里三平等(みひら)とは首里の3つの行政区画で、真和志(まわし)の平等、西の平等、南風(はえ)の平等からなります。, 部署専用の建物はなく、総与頭の邸宅をそのまま役所にしており、火事が起きた時のほか、盗難などの事故防止にもつとめたそうです。, 琉球の消防組織は、前述のように「総与方」という部署が担当していました。火事が発生した際には、総与方がドラを鳴らして付近の住民を動員し、総与方の指揮のもと消火活動にあたりました。, その方法は住民が桶などを持ち寄って水をかけて鎮火したり、類焼を防ぐために家を壊したり、芭蕉の茎で火の粉を叩いたり、また救火水龍(きゅうかすいりゅう)という消火ポンプを使うものでした。全住民が活動に当たらないといけないので、野次馬は許されません。不参加者は罰せられました。, 津波古が起こした火事には、総与方が出動したわけですね。ただし朝薫の担当区域は首里なので、那覇の総与方とはまた別になります。, フランスとの交渉を拒否したため更迭された寧温の「日帳主取(ひちょうぬしどり)」ですが、この職は表十五人衆のなかの「鎖之側(さすのそば)」の次官で、外交や教育、また那覇の行政などに当たりました。今でいうと外務省や文科省などの事務次官に相当するでしょうか。史実で牧志朝忠が就いたのもこの職です。, ドラマの中では後任に儀間親雲上(ペーチン)が就きましたが、彼が外交担当としてフランス軍艦購入に当たったという設定になっています。, 【お願い】解説を読んでいただいた皆様、ぜひぜひ下の緑のボタン(人気ブログランキング)をクリックしてくださいませ。前回はおかげさまで歴史部門2位になりました!押してランキングが上がると僕のブログを書くやる気もアップします(笑)ご協力お願いしますm(_ _)m, 投稿者 【プロフィール】上里 隆史 時刻 19:30 ドラマ「テンペスト」解説 | 固定リンク 「スポットライト世紀のスクープ」は2015年に公開された、実話を基にしたアメリカの映画です。「スポットライト世紀のスクープ」は2002年にアメリカの新聞ボストン・グローブ紙が報じた、カトリック司祭による性的虐待事件の記事を作った記者たちの物語です。 今月末に沖縄旅行に行く予定です。そこで、より楽しむためにそれまでに沖縄が舞台の映画やドラマを見てから行こうと思っています。なので映画やドラマに詳しい方、おすすめのものを教えてください。チェケラッチョ!!カフーを待ちわびて Tweet, ドラマ第10回「永遠の太陽」。ついにこの時が来てしまいました。「テンペスト」最終回。涙の完結でしたね。国は滅びましたが、真鶴と浅倉雅博は首里城で再会。二人の新たな出発です。, 明治12年(1879年)、日本政府は処分官の松田道之と警官と軍隊400名を琉球へ派遣し、尚泰王に沖縄県の設置を通告します(琉球処分)。ここに500年にわたり続いてきた琉球王国は滅亡、尚泰王は首里城を明け渡し、華族として東京移住を命じられます。, 尚王家は以降、東京に住むことになり、千代田区九段北に邸宅をかまえることになりました。ただ尚家は完全に沖縄と切り離されたのではなく、中城王子の邸宅だった首里の中城御殿が尚侯爵邸として使用され、首里城御内原の女官たちも移り住み、神々も移設されました。, また尚家はヤマトに留学した沖縄の学生に奨学金制度をもうけて支援したり、王家の資本をもとに「丸一商店」という会社を設立、中国からの茶貿易や海運などの事業にも乗り出しました。, さらに日清戦争で頼りにしていた清国が敗北した後、尚泰王の次男・尚寅(しょういん)をはじめとした士族層は「公同会」という政治結社を結成、尚家を世襲の沖縄県知事とする特別制度を求める運動を起こし、沖縄で7万人もの署名を集めて東京の日本政府に要求します。事実上の「王国復活運動」です。しかし政府はこれを拒絶、運動を継続した場合は国事犯として罰すると威嚇し、あえなく尚寅たちの夢はついえました。, ※くわしく知りたい方は次の本を読んでください。参考文献:国吉真永『沖縄・ヤマト人物往来録』(同時代社、1994), 多嘉良(藤木勇人)が王子誕生の宴席で王と真鶴に差し出した泡盛100年ものの古酒(クース)がありましたね。多嘉良は泡盛を管理する銭蔵という役所で働いていましたが、実際にはどのくらいの古酒があったのでしょうか。, 実は沖縄には戦前までかなりの年数の古酒が残されていました。200年や150年ものも珍しくなく、また王国時代には最上の古酒である「康熙年間(こうきねんかん)」という300年もの(!)まであったといいます。, 琉球を訪れたアメリカのペリー一行は歓待の宴席で王府より泡盛の古酒をふるまわれています。, 「小さな盃につがれた酒が出されたが、この酒はこれまでこの島で味わったものにくらべて、はるかに芳醇なものであった。醸造が古くて、まろやかに熟しており、きつくて甘味のあるドロッとした舌ざわりで、いくらかフランス製のリキュール酒に似ていた」(『ペリー日本遠征記』), おそらくペリーたちにふるまわれた古酒はかなりの年数のもので、銭蔵が所蔵していたものではないかと思います。, ※詳しくは次の本を。参考文献:萩尾俊章『泡盛の文化誌』(ボーダーインク、2004), ドラマ中に正体が発覚した孫寧温(真鶴)を「僉議(せんぎ)」にかけて流刑に処することを決定したというシーンが出てきますが、この「僉議」とはいったいどういうものでしょうか。, 「僉議」は摂政・三司官、表十五人衆を王府の最高機関である評定所(ひょうじょうしょ)が行う最高の協議、裁決のことです。死罪や流刑などの重大な事件、また士族の跡目相続や領地拝領に関することなどが協議されました。, 罪に問われた真鶴が息子の明とともに身を隠したのが首里の遍照寺(へんしょうじ)という寺です。この寺はもと「万寿寺」といい、末吉宮の神宮寺(付属の寺院)でした。ドラマで孫嗣勇が躍った組踊(くみおどり)の「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」の舞台となった場所としても有名です。, 現在では末吉宮が本殿・拝殿ともに復元されたものの、遍照寺は石垣のみが残されています。, ドラマで尚泰王が話した「命(ぬち)どぅ宝」という言葉、「命こそ宝」であるという意味ですが、本当にこのような言葉を発したのでしょうか。, 実はこの言葉は戦前の沖縄芝居で琉球処分を題材にした「首里城明け渡し」のなかで脚本家の山里永吉が創作したフィクションです。, 「戦世(いくさゆん)終(しま)てぃ 弥勒世(みるくゆん)やがてぃ 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)どぅ宝」, 投稿者 【プロフィール】上里 隆史 時刻 19:30 ドラマ「テンペスト」解説 | 固定リンク | コメント (4) テンペスト 第1話「龍の子」 キャスト:仲間由紀恵、谷原章介、塚本高史、高岡早紀、gackt テンペスト動画一覧topへ. Tweet, ドラマ第7回「再び王宮へ」ですが、物語はさらに加速度を増し、いよいよ終盤へさしかかりました。真鶴は側室となり御内原へ、上原多香子演じる真美那も初登場!お嬢様全開でしたね。サトウキビ畑での浅倉との再会、そしてペリー艦隊の来航。琉球はいったいどうなってしまうのでしょうか。, 側室の最終選考に残った真鶴と真美那が最後に受けたのが、畳の下に隠された黄金のハサミを当てることでした。奇妙な選抜方法ですが、これは王妃の選考試験に実際にあったものです。ドラマでは王妃試験の方法を、側室にも適用したという設定になっています。, 御内原では真美那や真鶴が機織りに従事していました。身分の高い側室がなぜこのような下っ端の女官がやるような仕事をしているのでしょうか。実はこれも史実に基づいた再現です。面白いことに、首里城の御内原では、女性たちは身分にかかわらず機織り作業をすることがしきたりになっていました。, 王妃はじめ御内原の女性は職務の合間には必ず糸をつむぎ、機織りをしていたのです。時おり参内する王族の婦人や三司官の奥方にも、対談の際に糸つむぎの道具と芭蕉の繊維が配られ、談笑の際にも絶えず手を動かし糸をつむいでいたそうです。ちなみに出来上がった布は王の家族用や御内原の女官たちに与えられました。, 八重山でかたせ梨乃演じる思徳金(大勢頭部)が「御内原の世界でも、優れた機織りの腕を持つ女官は重宝がられるだけではなく、尊敬される」と真鶴に話していたのは、こういうわけがあったからです。, なおこの時代には機織りは高機ではなく地機です。もちろん事前に知っていてNHKにもその旨を進言しましたが、制作上の都合で実現できませんでした。, ※実際の御内原の世界を詳しく知りたい方は、以下を参照してください。参考文献:真栄平房敬『首里城物語』(ひるぎ社、1997), 真美那の懐妊の日取りを占った「トキ」という者ですが、これは古琉球より続く神事の日選びをする占い師のことです。とくに王府内で働いていた者を「時の大屋子(おおやこ)」と言いました。沖縄では霊能力者として「ユタ」が有名ですが、ユタが女性なのに対してトキは男性とされ、古い記録には「トキ・ユタ」と総称されています。トキが占いで使うのが「トキ双紙(ぞうし)」という書物で、現在でもいくつか残されています。, 彼らは迷信をもって人をたぶらかすということで、王府はしばしばトキ・ユタ禁止令を出しましたが効果はなく、その後も残り続けます。現在でもユタが沖縄各地にいることは周知の通りです。, 辻の聞得大君のもとへ訪れた遠藤憲一演じる津波古が「進貢船の水夫として中国へおもむく」と話すシーンがありましたね。聞得大君は絹織物と銀杯を大量に買ってくるようにと助言していました。中国へ向かう進貢船は王府が派遣する公的船です。貿易品も搭載されましたが、これは基本的に王府が公的に売買するための官品でした。津波古のような水夫がプライベートで貿易できたのでしょうか。, 実はできました。各船員には「乗り間(のりま)」という船室内のスペースが与えられていて、その範囲内であれば私的に物資を載せてもオッケーだったのです。進貢船のスタッフたちは王府の公的な貿易に従事するかたわら、個人的に商売をし、「乗り間」に貿易品を積んで琉球へ帰ることができました。いわばスタッフたちへのボーナスとして与えられていた権利だったのです。, 実際、慶良間諸島には中国への進貢船にスタッフとして乗り込んだ者たちが中国貿易で財を築き、故郷の島で立派な家を建てた例もあります(例えば慶留間島の高良家など)。津波古もこのチャンスを活かして貿易を成功させれば人生の一発逆転が可能だったのです。, ペリー艦隊の来航を首里に伝えるために、港口から火砲が発射されたシーンがありましたが、あれは「ヒヤー(火矢)」と呼ばれる沖縄の銃砲です。形式は火縄銃が伝来する以前の中国式の火砲(手銃)で、ハンドキャノンとも呼ばれます。近世では行列の際の礼砲などに使われていました。, もう一つの案としては、港口の屋良座森グスクという砲台から仏郎機(フランキ)砲という大砲を空砲で発射するという案もありましたが、ドラマのシーンは火矢を採用することになりました。ちなみに仏郎機砲は海賊対策のため、中国へ向かう進貢船に搭載されていました。, 投稿者 【プロフィール】上里 隆史 時刻 19:30 ドラマ「テンペスト」解説 | 固定リンク 7月より放送開始するNHK BS時代劇「テンペスト」に出演している谷原章介が、沖縄ロケやちょっぴり赤面する撮影のエピソードを語った。, 同作は琉球王国末期の王宮を舞台に、美ぼうと才能を併せ持つ女性・真鶴(まづる)が、兄が失踪したのを機に男として政府の役人になり、人を愛し琉球を愛し懸命に生きる姿を描く波瀾(はらん)万丈でけんらん豪華なエンターテインメント時代劇。主人公の真鶴を仲間由紀恵が演じるほか、谷原章介、塚本高史、GACKTら豪華キャストが顔をそろえる。, そして真鶴と恋に落ちる薩摩藩の武士・浅倉雅博を演じたのが、実力派俳優の谷原だ。もともと時代小説が好きだと語る和服姿の谷原は、「和服の着こなしや所作(しょさ)など、ピシッと型にはまると気持ちいいですね」と涼しげな笑顔。今回演じる浅倉というキャラクターについては「琉球の開放的なところや美しい空や海、優しい人たちに感動し、自分が異邦人ということを知りながらも琉球に愛着を持っている人間にしたいと思いました」とかなり気合を入れて挑んでいるという。, そんな谷原だが、ヒロイン・真鶴との出会いのシーンでは感情が高ぶるあまりドラマチックになり過ぎてしまったため、共演の塚本にちゃかされてしまったという。「真鶴が船で八重山諸島に連れて行かれるのを追いかけて、ちょっとクサいセリフの後に琉歌を歌い出すシーンがあるんです」と状況だけを聞くと出会っていきなり歌をささげるナルシストっぷりだが、谷原いわく「沖縄の雄大な自然を前に気持ちよく歌っちゃいました」とのこと。しかし、後から塚本に「谷原さん、いきなり歌っちゃダメだよ。笑っちゃうよ、オレ」と突っ込まれ、「日常生活でいきなり歌を歌い出したら笑っちゃうよね(笑)」と赤面してしまったエピソードを気さくに告白した。, また、ロケ中はヒロインを演じた仲間とも楽しく過ごしたといい「ほぼ一緒にいたからより親密になれたかな」とコメントをしたかと思えば、「(沖縄で)ちょっと太りました」と冗談めかす一面も。仲間の故郷・沖縄ということでおいしい沖縄そばをいろいろと教えてもらったそうで、「もとからラーメンが大好きで、仕事がなくて自由にご飯を食べられるときは、9割沖縄そばを食べていました。あと僕は中身汁というホルモンが入っているものが好きなんですけど、本当においしかったです」と沖縄の美食も満喫。さわやかに受け答えする姿には、真鶴との出会いのシーンも谷原だからこそ絵にしてしまいそうな、ゆったりとしたすがすがしさを感じさせた。(取材・文・中村好伸). | コメント (7) 真鶴(まづる)/孫寧温(そん-ねいおん)~孫家待望の第1子だったが女児だった為、名前も付けられず自分で真鶴と称 … 琉球人の肖像 | コメント (2) 満島ひかり、NHK超大作ドラマ「開拓者たち」の主演に!「本気で立ち向かいます」と決意表明. Copyright © 2000-2020 CINEMATODAY, Inc. All rights reserved. うわさの彼の印象を聞かれて、思わず赤面!! Tweet, ドラマ第6回「八重山の流刑者」。話の舞台は首里から八重山へと移ります。ここで寧温はついに真鶴へと変身!「女性」になるにともない声色も変わりましたね。物語は新たな局面に入りました。果たして真鶴となった寧温は首里城へと返り咲けるのでしょうか。, また今回のみどころ!沖縄で大ヒットのローカルヒーロー番組「琉神マブヤー」に出演した「ハブデービル」こと仲座健太さん、「ケン」こと山城智二さんが八重山の役人として登場!マブヤーのヒットは彼らがいなければ絶対にありえませんでした。沖縄を代表する芸人さんたちがいい役どころで全国出演したので良かったです!ただ個人的には仲座さんを多嘉良役に推していたのですが、八重山の頭役も彼のカラーを充分に出せていたと思います。, 八重山は首里の王府の直接統治ではなく、現地の「蔵元(くらもと)」という役人組織がありました。トップは「頭(かしら)」といい、その下に「諸座・諸方」という「ミニ王府」のような組織が整備されていました。蔵元の役人たちは八重山各地の村々を治める「首里大屋子(しゅりおおやこ)」や「与人(ゆんちゅ)」が兼任したりしていました。, 首里の王府からは、彼ら蔵元の役人たちを監督する「在番」という王府役人1名、「在番筆者」2名が首里から派遣されていました。彼らは任期付きの役職でやがて首里に帰っていきますが、八重山の政治は基本的には蔵元の現地役人たちが行っていました。ドラマ中で真鶴が踊りを披露した宴席に参加していた黄色のハチマチ3人はこの在番と在番筆者です。, 孫寧温が八重山へ流刑になる途中、欧米船が石垣島へ砲撃しているシーンがありました。あの事件は史実です。1852年に起きたロバート・バウン号事件です。中国福建省を出発しアメリカのカリフォルニアをめざしていたバウン号ですが、途中で船長らの虐待に怒った中国人苦力(肉体労働者)が反乱を起こし、船を乗っ取りました。船は台湾へ向かう途中に石垣島の崎枝村の沖で座礁して中国人苦力が石垣島へ上陸。対して欧米側はイギリス・アメリカ船を現地へ派遣して中国人らを砲撃、上陸して彼らを射殺、捕縛したという事件です。史実では孫寧温のような人物は現れませんでしたが、琉球側は苦力を丁重に扱い、一部の苦力らを中国福建に送還しています。現在でも石垣島にはこの事件で亡くなった苦力たちを慰霊する唐人墓が残されています。, 現在では医療技術の発達で克服されましたが、かつて琉球ではマラリヤやフィラリア症という恐ろしい風土病がありました。寧温もこのマラリア(マキー。黒水熱)に罹ってしまいましたね。王国時代の八重山ではとくにマラリアの被害を大きく、しばしばマラリア蚊の発生しやすい村の移動も行われています。また八重山ではマラリア蚊の発生しにくい土地に村を作り、日中はマラリア蚊の発生する湿潤地帯の水田へ遠くから通っている例もありましたが(新城島から西表島へ船で渡って耕作する例など)、これもできるだけ感染を防ぐ知恵でした。マラリア蚊は夜行性で日中に有病地帯へ行っても感染する可能性は低かったからです。, 孫寧温が第一尚氏王朝の末裔であることを証明した系図ですが、歴代王の系統を記した「中山王代記」については実際に残る「王代記」という史料と、記載された文面については『中山世譜』中の第一尚氏時代の系図を参考に作成しました。, 明へ渡ったという第一尚氏の末裔ですが、これは史実ではありません。フィクションとして最後の王、尚徳の子「黄金子(くがにしー)」が明へ渡ったという設定にしてあります。そして明へ渡って名乗った「孫截渓(そん・さいけい)」という名前ですが、これは実際の尚徳王の子供の名前を採用しています。沖縄では尚徳王の子供たちの詳しい名前は判明していませんが、実は朝鮮の『海東諸国紀』という史料には、尚徳の子供に中和、於思、截渓という人物がいたことが記されています。琉球では抹殺されてしまった名前ですが、今回はこのうち截渓が第二尚氏のクーデター前に明国へ渡ったという設定にしました。, ちなみに琉球の家系記録は個人で勝手に作れるものではありません。王府がその人物の素性を調査し、正確だと認定したうえで公的記録として作成します。なので全士族の家系記録は首里城の系図座という建物に所蔵されているわけです。琉球の身分は「士族」「百姓」の二つしかありませんが、それを分ける指標は、王府発行の家系記録を持っているか、持っていないかで判断します。なので琉球では士族の別名を「系持(けいもち。家系記録を持ってる者)」、百姓を「無系(むけい。家系記録を持っていない者)」とも称します。, 孫寧温が投獄されてしまったあの豚小屋ですが、あれはフール(豚便所)です。沖縄では大正時代頃までこのタイプの便所がよく見られました。要するに人が出したウ○コをブタに食べさせ、大きくなったブタを人間が食べるという究極のエコです(笑)大正時代以降は不衛生ということでどんどん無くなっていきましたが、現在でも古い民家にはそのフールを見ることができます。ちなみに当時の沖縄の豚は黒い豚しかいませんでした。白い豚、ヨークシャー種などが入ってくるのは明治末期になってからです。絶滅しかけた在来種を復活させたのが、有名な「アグー」です。, ドラマ第5回「宦官の野望」、GACKT演じる徐丁垓が大暴れの回でしたね!せっかくの活躍だったのに、この回で徐丁垓がいなくなってしまうのは何だか寂しいですね…名君の尚育王ももう見れないのは残念です…というか、今回はありえない超展開の「神回」で最後のシーンは僕も大爆笑させてもらいました(笑)次回以降も急展開が続きますので、まだまだ目が離せませんね!, ドラマ中では尚育王があっけなく逝ってしまいましたが、史実ではどうなのでしょう。実際に尚育王は1847年に34歳で急死しています。死因については正式な記録では残っていませんが、ペリー来航の際に琉球側が作成した回答マニュアル「異国人江返答之心得」によると、尚育王の死因をアメリカ側から質問された時には、「癪気(しゃっけ)」と答えるようにとの指示がされています。, この「癪気」ですが、急激な胃痙攣や胃痛という意味があり、どうやら急性の消化器系の病気で突然死したようです。, 孫寧温が自宅のガジュマルで見つけた勾玉、これこそが聞得大君が探していた馬天ノロの勾玉でした。第一尚氏王朝の神女の絶大な霊力を持つとされる勾玉ですが、実は戦前まで実際に残っていました。, 戦前、沖縄を調査した鎌倉芳太郎は、沖縄島南部の佐敷を訪れ、馬(場)天ノロとその祭祀道具などをスケッチしています。そのスケッチによると勾玉は「灰乳青色」をしており、大きさは2.8寸(約8センチ)。水晶玉54個でつながり、長さは2尺(約60センチ)であったといいます。ドラマ中ではピンク色をしていますが、あれは演出側のアレンジです。, なお馬天ノロは「場天大のろくもい」といい、第一尚氏王朝の故地である佐敷を管轄する神女で、かつては「てだしろ(太陽の依り代)」と称されていましたが、第二尚氏時代に、聞得大君にはばかられる畏れ多い名前ということで改名されたとのこと(『琉球国由来記』)。, ※実際のスケッチをご覧になりたい方は以下を参照してください。参考文献:沖縄県立芸術大学附属研究所編『鎌倉芳太郎資料集(ノート篇) 第2巻 民俗・宗教』(沖縄県立芸術大学附属研究所、2006)685ページ, 徐丁垓が就任した「国相(こくしょう)」は、ドラマ中で「琉球王府最高の官職」という解説がありましたね。, ドラマ中では400年ぶりに国相に就任うんぬん…というくだりがありました。琉球史に詳しい方なら「国相とは摂政のことだから400年ぶりはちがう!」という意見も出るかもしれません。たしかに王族が就任する「摂政(せっせい)」という名誉職があり、国政をつかさどる三司官よりも上の地位にあります。, ですがこの「国相」という役職、近世の「摂政」と古琉球の「国相(王相)」とでは実質的にはまるで別物だったことがわかってきています。最初に「国相」についたのは14世紀の阿蘭匏(あらんほう)という中国人で、以降も中国人が就く役職でした。当時は実質的に国政や外交をとりしきる強力な権限があったようです。, ところがこの役職はしばらく途絶え、17世紀になって「摂政」が改めて常設されるようになります。どうやらかつて存在した「国相(王相)」という中国人専任職を、新たに解釈しなおして琉球人の王族が就く役職にしたことがうかがえるのです。, さらにマニアックな解説をしますと、華人の就いた国相の琉球語の呼称は《王将軍》で、王族の就く摂政は《お世おわつかい(世のお扱い)》と呼んでいたので、別物であることがわかります。, まあ要するにドラマ中の「400年ぶりに国相が…」というセリフはきちんと根拠があるわけです。, これまたマニアックですが、徐丁垓が尚泰王からたまわった国相就任の辞令書は、実際の文書をもとにして作っています。, 実際には国相に与えられた辞令書は確認されていませんので架空の文書になりますが(近世に清国人が国相に就いた例はありません)、当時出すとすれば必ずこうしただろうという様式になっています。, ※辞令書について詳しく知りたい方は、次の文献を参考にしてください。参考文献:高良倉吉『琉球王国の構造』(吉川弘文館、1987), 投稿者 【プロフィール】上里 隆史 時刻 19:30 ドラマ「テンペスト」解説 | 固定リンク | コメント (8) テンペストの再放送は2012年の4月12日から。 琉球王国末期の王宮を舞台に、男性と偽って政府の 役人になった真鶴(仲間由紀恵)の波乱万丈な人生を描いています。 AKB48大島優子、「ごめんね、喜ばせてあげられなくて」 総選挙発表直後の心境激白!. 野性時代』に2007年1月号から2008年6月号まで連載された(イラスト 長野剛)。 19世紀の琉球王朝末期が舞台であり、連載当時から大きな反響があった 。 タイトルの「テンペスト」はシェイクスピアの戯曲「テンペスト」に因む 。.
2020 ドラマ テンペスト 実話